周南こまち物語

周南こまち物語
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周南こまち物語作 : ぜろカラ企画 主宰 磯嶋彰子

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第五話 公園は深紅に染まる(後編)

 真冬が去って四十分ほど過ぎても、梅竹は現れなかった。
 張り込み始めは、刑事みたいでカッコいいとか、ワクワクするとかはしゃいでいた桃島も、時間が経つにつれて飽きてきたらしい。話すことも次第に無くなり、二人の間に奇妙な沈黙が流れるようになってきた。
「梅竹って人、本当に来るンかねえ」桃島が不安そうに言った。「奥さんにバレたことに気がついて、今日はおとなしく家に帰ったんじゃない? 」
 確かに、あんな男でも、一応は二児の父親なのである。そうそう浮ついた真似はしていられないだろう。小夏は携帯で時間を確かめた。一時間も張り込めば、真冬への義理は果たせたことになる。
 あと二十分経ったらここを出よう、と決めた。あとはオノくんにでも頼んでおけば良い。
 小夏がそこまで考えたとき、桃島が指で軽くテーブルを叩いた。
「夏ちゃん、アレ……」
 テーブルは入り口に平行に並んでいる。小夏は入り口に背を向けていたが、向かいの桃島の席からは入り口がそのまま見渡せる。
 間仕切りの隙間越しに後ろを振り返ると、梅竹と小柄な女性が連れ立って入ってくるのが見えた。後ろからやってきたオノくんが、くれぐれも騒ぎは起こさないでね、と、すがる様な目で小夏を見て、戻っていった。
 騒ぎは起こしたくないし、関わりたくないのは、小夏も同じである。このまま張り込みが空振りに終わってくれることを密かに願っていたが、そううまくはいかないらしい。
「あれが梅竹さん? 」
 桃島が聞いてきた。
「そう」小夏は返事をしながら、梅竹に見つからないように間仕切りの陰に隠れると、携帯電話で真冬を呼び出した。ここで知らぬ振りをすると、あとが怖い。ところが、電話を取った真冬は、小夏の話を聞くか聞かないかのうちに、
「すぐ行くから捕まえておいて! 逃がしちゃ、駄目よ! 」
と、怒鳴ると、乱暴に電話を切ってしまった。
 真冬のただならぬ怒声は、桃島の耳にも届いたらしい。
「何かあったん? 」桃島は、不安そうに小声で尋ねた。
「向こうでも、ひと悶着起きたんよ。たぶん」
 やはり、真冬と嫁が、ぶつかり合ったに違いない。
「僕ら、これから、どうすりゃ良えんかねえ」
 さらに不安そうに、桃島が聞いてきたので、
「梅ちゃんを捕まえちょけ、って」
 小夏は答えた。どうも、この騒ぎから逃れることは不可能らしい。こうなれば、腹を括るしかないようだ。梅竹は何も気付かずに若い恋人と楽しそうに談笑している。
 桃島は、そんな梅竹を見ながら、なんとも頼りないため息をひとつ、吐いた。
「僕、修羅場って苦手なんじゃけど」
「私もよ? 」
 修羅場が得意な人間なんて、いるわけがない。桃島はしばらく考えた後、諦めたように言った。
「また鼻血が出たら、勘弁してぇね? 」




 一時間後……。
 小夏、桃島、真冬の三人は、今回の「作戦本部」にいた。
 作戦本部にはモリノさんや社長の桜町さんや、同僚の男性スタッフもいる。なんてことはない、小夏の職場の「桜町設計事務所」がそのまま今回の作戦本部だったのである。
「公園からそんなに離れてないし、仕事しながら参加できるし。良い考えじゃろ? 」
 そう言って、モリノさんは笑った。
 モリノさんの話によると、事務所に呼び出された嫁は案の定、物凄い剣幕で真冬を罵倒し始めたのだという。
「おとなしそうな女の人なのに……。見かけじゃ、わからんもんじゃね」
 事の一部始終をみていた桜町さんが、疲れたように呟いた。
 真冬も真冬で、
「はじめは地道に説得する気だったんだけど、こっちもだんだん腹が立ってきて」
 と、いうわけで、売り言葉に買い言葉の大喧嘩になったらしい。
 つまり、修羅場は「空」ではなく、この事務所で繰り広げられていたのだ。
 その嫁は、真冬とモリノさんに引きずられるようにして「空」にやってきて、梅竹の浮気現場を目の当たりにした途端、先刻までの勢いはどこへやら、大粒の涙を流して、声を詰まらせながら泣き始めたのだ。若い恋人は呆気に取られるし、梅竹はうろたえるし、それはそれで修羅場ではあったが、それ以上騒ぎが大きくなる様子が無いのを幸いに、小夏たちはさっさと本部に引き上げてきたのである。
「私には、人として恥ずかしいだの、オトナになれだの、言いたい放題言ったくせに。なによ、アレ」
 真冬はまだ、怒りが収まりきらない様子である。
「まあ、まあ……」モリノさんがなだめに入る。「泣き落としってのも一つの戦術じゃろ? それに引っかかるオトコも間が抜けとるけどね」
「馬鹿馬鹿しい! 」
 真冬は吐き捨てるように言うと、皆から目をそらして横を向いていしまった。
 だが、少なくともこれで、梅竹の嫁が真冬に付き纏うことはなくなるはずだった。梅竹も、しばらくはおとなしく家庭サービスに精を出すことだろう。この先、梅竹と嫁がどんな人生を歩もうと、真冬には関係の無い事なのだ。
 そうあるよう、小夏は願った。

 その時、少し気まずくなったその場を取り繕うように、桃島が、
「だけど、クリムゾン・パーク作戦、って、誰がつけたんですか? カッコいいけど、なんか意味がわからんですよ」と、聞いた。
 真冬相手には敬語になっているのが、少し可笑しい。
 だが、桃島のその質問が、真冬の中の何かに火をつけたらしい。真冬は急に向き直ると、何故だかやけに愉しそうに桃島に言った。
「聞きたい? 」
 真冬は、いつもの悪戯っぽい笑顔を浮かべている。
 桃島の質問に代わりに答えたのはモリノさんだった。
「クリムゾン、は深紅。パークは公園でしょ。だから、日本語に直すと、紅い公園作戦」
「なんか、壮絶な感じの作戦名ですね」
 桃島が言ったので、真冬はさらに瞳を輝かせて、
「実際、壮絶だったでしょ? それにね、」と、そこでいったん言葉を切って、「桃島がいつ鼻血を出すか、わからないじゃない」
 そう言って、屈託の無い声で笑い始めた。
 モリノさんも、桜町さんも、他のスタッフたちもクスクスと笑っている。
 先月のマリノカフェでの鼻血事件が皆に伝わっているに違いない。
 笑いが笑いを呼び、桃島までもが「まいったな……」と照れながら、一緒になって笑い始めた。

 深夜近く、奇妙な笑い声に包まれた事務所で、小夏は、今後一切、真冬がらみのゴタゴタには関わるまい、と固く決心した。



第五話・了



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第五話 公園は深紅に染まる(前編)

 居酒屋「空(くう)」は今月の8日で七年目を迎えるそうだ。坂手川小夏は、マネージャーのオノくんからそう言われていた事を、今更ながら思い出した。
 小夏は、姉の真冬と共に、その「空(くう)」に向かっている。
 真冬がらみのゴタゴタには首を突っ込まない主義の小夏だが、今回は事務所の先輩のモリノさんの代役なので、しかたなくやって来たのだ。本当は私が行くはずだったんだけど仕事が片付かなくて、と、昼過ぎにモリノさんに頼み込まれたのだ。
 「空(くう)」は青空公園の東側にあるビルの2階と3階に店を構えている。入り口には大きなタペストリーがかかっているが、他に目立った看板は出ていない。ともすれば、見落としそうになる入り口から階段を上がって引き戸を開けると、オノくんが「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。金曜の夜とあって七割がたの席は埋まっている。オノくんは、真冬と短く話をすると、右手で小さな丸を作ってみせた。真冬とは、すでに打ち合わせ済みらしい。
「こっちよ」
 真冬に促されて階段を上がり、靴を脱いで板の間の奥の座席に向かうと、そこには先客が一人、座っていた。小夏の中学の同級生、桃島賢である。
「夏ちゃん! こっち、こっち! 」
 桃島は、小夏の顔を見ると、嬉しそうに手招きをした。
 小夏は驚いて真冬を睨んだが、真冬は素知らぬ顔で、そのままずんずんと進んでいく。
 仕方なく、小夏は真冬に続き、桃島の向かい側に席をおろした。
「時間もちょうど良いわね」と、真冬が言った。「まずはビールかな? 」
 小夏と桃島が返事を返す前に、真冬は手を上げて店員を呼び、生ビールを三つと枝豆を注文した。

 


 桃島と会うのは久しぶりである。先月の飲み会以来、会っていない。桃島からのメールや電話は何度かあったのだが、ちょうど仕事が忙しくて返信できなかったり、たまにこちらから電話をかけると向こうに用があってゆっくり話ができなかったり、今ひとつタイミングが合わなかったのだ。……というより、小夏は無意識に桃島を避けていたのかもしれない。
 顔立ちは悪くない。背はそんなに高くはないが、太ってはいない。
 正直な話、「ケーブルテレビレポーターの桃島さん」は、恋人としてはかなり魅力的だ。だが、その無頓着な性格が、どうにも我慢できない。
 小夏の複雑な思いを知ってか知らずか(たぶん、知らないだろう)、桃島は屈託のない笑顔で陽気に話しかけてくる。
「元気じゃった? 今日も暑かったねぇ。こんな日に限って、あちこち出回らんにゃいけんで。家の中に上がったらクーラーが効いちょるんじゃけど、暑かったり寒かったりっていうのは疲れるじゃ? まいったっちゃ」
 前に会った時にも思ったが、桃島の着ているものは、どこかくたびれて見える。悪い意味ではなく、乗っている車もそうだが、古臭いというより、よく使い込んである感じなのだ。たぶん、どんな高級なブランド物を着ても、こんな風にくたびれた感じになってしまうのだろう。もっとも、小奇麗で洒落たスーツなど、持っていないような気がするが。
「桃島はケーブルテレビに出とるから、すぐにわかったの」
 それまで黙って二人の会話を聞いていた真冬が、唐突に口を挟んだ。二人の顔を見比べながら、にやにやと悪戯っぽい笑顔を浮かべている。
「いきなり職場に電話がかかってきたんよ」と、桃島が言った。「夏ちゃんの職場のモリノさんって、うちの姉ちゃんと友達なんて。知っちょった? 」
「知らん」小夏は答えた。
 モリノさんは、桃島が来るなんてひと言も言っていなかった。おまけに、モリノさんと桃島の姉が友人だなんて初耳である。今日、ここに小夏が来たのはモリノさんの代役のはずだが、案外、はじめから仕組まれていたのかもしれない。
 だが、桃島のほうはそんなことを勘ぐっている様子は微塵もなく、最近はじめたという草野球の話とか、夏バテにはお酢が良いとか、他愛のないことをやたらと上機嫌で話している。
 そうこうしているうちにビールと枝豆が運ばれてきたので、三人はとりあえず乾杯した。ビールの冷たさが喉に染みて心地良い。小夏が枝豆をひとつ口に運んだとき、ほとんどカラのジョッキをテーブルに、どん、と置いた真冬が、真剣な表情で、
「それでね、」と切り出した。
 今日集まったのは、三人でのどかにビールを飲むためではない。



 真冬には、結納直前まで行った、梅竹善行という男がいた。結局、梅竹は、真冬と同時進行していた別の女性と結婚したわけだが、最近になって何故か、その梅竹の嫁が真冬の回りに出没している。どうやら嫁は、真冬と梅竹の仲を邪推しているようなのだ。真冬にとっては迷惑この上ない話で、なんとか嫁を追っ払おうと策を練ったのが、今夜の「クリムゾン・パーク作戦」である。なにが「クリムゾン」で、どういう意味なのかは小夏も知らない。
「モリノと、いろいろ調べたんだけど、梅ちゃんが浮気しているのは本当みたい。浮気、っていうより、梅ちゃんのアレは、ほとんどビョーキなんだけどね」
 真冬が呆れたように言った。梅竹のビョーキもさることながら、小夏には、そんなビョーキな男と真冬が付き合っていたことが、いまだに信じられない。
「なんかね、相手は二十歳くらいの看護婦なんだって」
と、真冬が言ったので、
「二十歳? 」小夏は驚いて声を上げた。「梅ちゃんって、いくつなのよ! 」
 確か梅竹は真冬とそんなに変わらなかったから、ひと回り以上、年の離れた女性と付き合っていることになる。
「いいなあ……」
 桃島が思わず呟いたが、小夏と真冬に睨まれたので、そのあとはずっと黙ってビールを飲んでいた。
 真冬のリサーチによると、梅竹はこの春に腰を痛めて通院し、その時に知り合ったのが、その彼女らしい。
「小柄でちょっとプクプクしてて童顔な子。梅ちゃんって、そういうの、タイプなのよ。嫁もそういうタイプでしょ? 」
 小夏は、何回か見かけた嫁の姿を思い浮かべた。確かに、小柄で可愛らしい、家庭的な感じの女性だった。長身でスレンダーで目鼻立ちも性格もハッキリした真冬とは、まるで逆のタイプである。
「浮気ったって、その辺でちゃらちゃらデートするくらいしかしていないと思うんだけどね。基本的に小心者だし、家庭を壊すだけの度胸なんて無いに決まってるんだから。嫁が騒ぎたてるほどのことじゃないのよ」
 そう真冬が言ったので、小夏は、
「じゃ、放っちょきいね」と反論した。
 小夏もそうだし、末の妹の千春もそうだが、とにかく梅竹が大嫌いなのだ。真冬が付き合っている時も良い印象は持たなかったし、彼が結納前に逃げ出してからは、二人揃って、徹底的に気嫌いしている。
「こっちは放っておきたいんだけど、向こうが勝手に付き纏ってくるんだもん。うっとおしい」
 真冬はいかにも迷惑そうである。確かに、災難は災難だ。だが、その災難も、元はといえば、真冬が梅竹のような男を選んだことに始まっているのだ。真冬ならば、他に良い男が選り取りみどりだろうに、なぜ梅竹だったのか。
「とにかくね、」と真冬は続けた。「今夜、ここに来るのはハッキリしているから。夏ちゃんと桃島はここで張り込んで。オノくんには、梅ちゃんが来たら、こっちに案内するように話をつけてあるから。見つけたら私に連絡して。逃がしちゃ、駄目よ? 」
「冬ちゃんが張り込むんじゃないの? 」
「私が張り込んだら逃げられるじゃない」
 確かに、真冬と梅竹がこの状況でぶつかると、ロクな事にはならない気がする。小夏と桃島がデートのふりをして張り込むほうが賢明というものだろう。
「で? 冬ちゃんはどこに居るんよ」小夏は聞いた。
「作戦本部」
「作戦本部?」
 この作戦に本部があるなんて、小夏は初めて聞いた。桃島の事といい、何がなにやら、わけのわからないことだらけだ。これだから真冬のいざこざに関わるのは嫌いなのだ。
 真冬は携帯をチェックして、忙しそうに立ち上がった。
「本部に嫁を呼び出すの。梅ちゃんの現場を押さえたら嫁と引き合わせて、二人のことは二人で、きっちりとカタをつけてもらうの」
 真冬は「二人で」という言葉を、殊更に強調しながらそう言った。
 そうは言われても、桃島と二人きりでここに残るのは気が重い。それに真冬と梅竹の嫁が顔を合わせて、何事も起こらずにすむのかどうか、そっちのほうが心配だった。しかし真冬は、
「サボらないで見張っててね」
 念を押すと、このビール代は私が持つから、と、千円札を二枚、テーブルに置いて、慌しく出て行ってしまった。
 真冬が出て行ってしばらくすると、彼女が戻ってこないのを確認して安心したのか、それまで黙っていた桃島が、遠慮がちに口を開いた。
「なんか、パワフルなお姉さんじゃね? 」
 真冬に会った人は大抵、彼女のことをパワフルだとか、活動的だとか、そういう形容の仕方をする。
「僕なんて、最初っから呼び捨てにされたもん」
 桃島のその言葉を聞いて、小夏は真冬が桃島を自然に呼び捨てにしていたことを思い出した。
 あの真冬と対等に張り合えるのは、ビョーキの梅竹くらいしかいなかったのかも、とも思う。だからといって、やはり、真冬と梅竹が付き合っていたのは、どうしても納得がいかないのだが。



第5話 後編に続く



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第四話 春よりも鮮やかな夏(後編)

 平和通を抜けて脇に入ると、小さな路地の先に公園が見えてくる。
 公園に向かって左手側には、姉妹でよく利用する「バナナリーフ」があり、右に折れると「マリノカフェ」がある。ここら辺りは真冬の縄張りで、「マリノカフェ」オーナーのトマリノさんも(トマリノ、だからマリノカフェ、らしい)当然のように真冬の友人だ。
 公園に向かって開け放たれたオープンスペースの向こうにカウンター席とテーブル席があり、その奥には三十人近く入れる部屋がある。結婚式の二次会として利用する客も多く、招待状の友人も、ここで二次会をやる、と言っていた事を小夏は思い出した。
 友人は見合いをして、出会って半年もしないうちに結婚を決めた。
 見合いなんて、そんなもんよ、と友人は言う。結婚することだけを考えれば、見合いのほうが楽なんよ、とんとん拍子に決まるもん、とも言った。
 今の仕事にやりがいが持てないわけではない。
 ただ、不安なのだ。このまま、ずっと事務所と現場と家を往復するだけで年を取っていくのかと思うと、夢も希望も持てないような気になる。
「夏ちゃん、久しぶり」
 店に入ると、カウンターの中からトマリノさんが声をかけてきた。
「みんな奥にいるよ」
 トマリノさんに促されて奥に行こうとしたとき、ちょうど出てきた桃島と鉢合わせた。夏らしい、カジュアルな服を着ている。こだわって古着を着ているのか、自分で着ているうちにくたびれてきたのか、袖口のあたりが綻びていたが、服装自体には好感が持てた。
「良かった~。もう、来んかと思うた」
 そう言うと、桃島はそのままカウンターに座ってしまった。
「夏ちゃん、なに飲む? ビール? 」
「車で来ちょるけぇ、ウーロン茶」
「代行で帰れば良えじゃ? 」
「明日、仕事が早いんよ」
 実際、明日は朝から忙しい。
「そお? 」桃島は不満そうながらウーロン茶、そして自分は生ビールを注文した。
「じゃ、次ん時は、ゆっくり飲もうや」
 小夏は、奥に行かなくても良いのかと思ったが、仕事で疲れ気味なときに大人数の、それも初対面の人間を相手にはしたくなかった。とりあえず、桃島としばらく話して、頭を仕事から切り替える方が自分のペースに合っている。桃島の隣に座ると、トマリノさんが程よく泡の立った生ビールを桃島の前に置いた。外から吹き込む風が心地良い。ビールを頼まなかった事を、ほんの少しだけ後悔した。
「他には、どんな人が来ちょるん? 」
「僕の職場の人とか、商工会の人とか。二十人くらいかねえ。あちこちに声を掛けよったら、なんか、結構、大人数になってしもうた」
 二十人もいるんだったら、無理に自分が来る必要も無かったんじゃないかと小夏は思った。
 まあ、それはそれで、久しぶりにこうして、外で食事をするのも気分が良い。
 二人で軽く乾杯し、まだ何も食べてない小夏のために、桃島はメニューの中からパスタを注文した。
「向こうの人は、もうだいぶ食べちょるけえ」
 少々、構わんって。どうせ割り勘なんじゃし、と、桃島は言い、ちょっとゴメン、と奥に消えていった。
「同級生なんて? 」
 カウンターから声を掛けてきたのはトマリノさんだった。トマリノさんは氷を手際よく砕いてグラスに入れると、戸棚の奥から取り出したウイスキーを注いだ。客からの注文かと思ったが、彼はそれをそのまま自分の口に運び、
「いいじゃん。桃島クン」と言って、悪戯っぽく笑った。
「そうは言っても、私はぜんぜん覚えが無いんよね」
 友人に聞いてみると、桃島を覚えている人は多かった。ケーブルのレポーターをしていて、メディアへの露出が大きいこともあるのだろうが。
「ああ、ぶー太郎」
 友人は、そう言ってくすくすと笑った。
「うちがケーブルに入ったときに、セッティングをしに来たんよ。レポーターしよるンかと思うたら、営業したり、セッティングしたり、けっこう、地味なことをしよるんて。まあ、テレビのレポーター、ちゅうても、この辺のケーブル局じゃしね」
 中学の時は放送部と陸上部にいたが、あんまり部活には熱心でなかったらしい。高校を出て、九州の大学に行ったらしい。あだ名が「ぶー太郎」であったらしい。友人への聞き込みでそれらのことはわかったが、今ひとつピンと来ない。ただ、「ぶー太郎」のあだ名には、何か引っかかるものがある。
 と、その時。
「トマリノさん、ティッシュかなにか、ある? 」
 奥に行っていた桃島が、首を上に向けた不自然な格好をして現れた。手で鼻を押さえている。
「鼻血が抜けた」
 トマリノさんがあわててカウンターを出て、桃島のところに駆け寄った。
「今日、暑かったけぇかねえ。あ、夏ちゃん、奥に食べるもん、まだ有ったけえ」
「大丈夫? 桃島さん」
 トマリノさんはとりあえず手近にあったキッチンタオルで応急処置を施した。
 介抱される桃島を見ていた小夏は、中学校時代の思い出のひとコマを鮮明に思い出した。
 桃島は中学に入る前から「ぶー太郎」で、中学を出るまで「ぶー太郎」だったのだ。
 今はどうか知らないが、子供の頃、鼻血を出すと「鼻血ぶー」と囃し立てられたものだった。
 中学時代、何かにつけて鼻血を出していたひょろひょろした男子生徒が、確かに居た。
「夏ちゃん、僕のことは良えけえ。奥でみんなと騒ぎよって」
 桃島が鼻血に耐えながら、笑顔で言った。
 桃島は悪い男ではない。それは、わかる。

 だが、小夏はできるだけ早く家に帰ろうと思った。
 家に帰って、お風呂に入ったら、よく冷えたビールを一気に飲み干そう。そう、心に決めた。




第四話・了



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